甲州ぶどう栽培1.200年、ワイン造り120年の歴史を誇る“勝沼”。そんな勝沼の中で国産ワイン造りの偉大なパイオニア土屋龍憲、高野生誠、二人のワインにかける熱き思いを受け止め、ぶどう栽培やワイン造りを通して“ワイン屋”に出来る町づくりを進めて行こうと、勝沼の気鋭ワイン醸造家が集まり1987年2月に設立されました。現在8社が参加して、甲州種を中心とした個性豊かなワイン造りに努めています。
 
 
日本でのワイン造りのメッカと言っても過言ではない勝沼。既に明治10年には、大日本葡萄酒株式会社が設立され、二人の青年がフランスへと醸造技術を習熟するために派遣されました。それからしばらくはフィロキセラ(ブドウ根アブラムシ)の害に悩まされるなどしながらも、ワイン造りは細々と続けられ、昭和に入り赤玉ポートワイン、軍用の酒石酸提供のためのワイン造りなどを経て、ようやく戦後甲州種を使ったワインが本格的に世に出ることとなったのです。

 別のページで詳しく書きますが、甲州種が初めて日本で栽培されたのは、伝説であり定かではありませんが、西暦718年とも1186年とも言われています。しかし、このように伝統ある日本固有の品種のワインが一般の消費者にも飲まれるようになったのは、戦後しばらく経ってからでした。その当時は甘口ワインが人気で、70年代のドイツワインブームとの相乗効果で、フレッシュ&フルーティな甲州甘口ワインがもてはやされていたのです。

 

 しかし、80年代に入るとバブル時代に突入しボジョレ・ヌーボーなどの外国産ワインが大量に輸入されるようになりました。次第に消費者は辛口に傾向して行き、危機感をいだいた勝沼のワインメーカーは、辛口で良質の甲州種ワインを造る必要性に迫られ、シュール・リー製法や樽貯蔵といった新しい醸造法を取り入れた結果、辛口ワインの品質が次第に向上して行ったのです。一方、勝沼町でも、原産地認証ワイン制度(1979年条例化、その後、何回か改正しているが、少なくとも第一号のワインは、1983年に収穫して、1985年の審査会で、合否を決めている)が設立されています。これは町の財産であるワイン産業の活性化を促す目的を持ち、原料は勝沼町産の甲州ぶどうで尚且つ糖度18度以上のものを使用、そして町の認証ワイン審査会に合格したものだけが認証ラベルを用いることが出来るというものです。

 この80年代を象徴する、輸入ワインの大量流入という外圧を受けての、甲州種ワインの品質向上への動きの中で、勝沼ワインの生き残りに危機感をいだいた地元資本の中小ワインメーカー12社の代表者(代理を含む)が、一つの信念の下に集まりました。


 この会は、フランスのA.O.C.(原産地呼称制度)に倣い、勝沼が全国に先駆けて独自のワイン法を制定し、

 1.勝沼町のまちづくりの一翼を担い、ブドウの景観の保持に努める
 2.甲州種ワインの品質の向上をアピールしていく

 という二つの目的で設立され、勝沼ワイナリークラブ(現在は勝沼ワイナリーズクラブと改名)と名付けられました。


 そして、クラブが定めた甲州種ワインの品質基準をクリアするには

 
1.勝沼産の甲州ぶどうを100%使用、且つその収穫地区や糖度の記載
 2.審査会提出ワインの醸造過程の詳述
 3.品質審査(20点法による官能審査)での合格

 の3点が必要と定められたのです。

 
この審査にパスしたワインは、ボトル自体が消費者への品質保証となって欲しいという願いが込められた、ロゴマーク入りの勝沼ボトル(別ページで詳述)に詰められています。


  ところで、10年ほど前、甲州種ブドウの需給バランスが大きく崩れ、その結果甲州種の取引価格が大幅に下落する事態を招いた時、当クラブが立ち上がり、当時の勝沼農協と勝沼町役場に“価格引き下げは農家の経営圧迫を強いる”との理由で強く反対して、結果的には中小のワインメーカーを巻き込んで、安定価格でのブドウ取引に導いた、というのは、当クラブの積極的な働きかけを象徴する事実でした。



     設立当時の勝沼ワイナリークラブメンバー(50音順)

麻屋葡萄酒株式会社
岩崎醸造株式会社
勝沼醸造株式会社
白百合醸造株式会社
ソウリュー葡萄酒醸造場
株式会社ダイヤモンド酒造
中央葡萄酒株式会社
原茂ワイン株式会社
まるき葡萄酒株式会社
丸藤葡萄酒工業株
大和葡萄酒株式会社
有限会社山梨ワイン醸造
雨宮清春
宮崎辰之助
有賀雄二
内田多加夫
鈴木卓偉
雨宮壯一郎
三澤茂計
古屋真太郎
池田俊和
大村春夫
萩原保樹
野沢貞彦
  
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